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工務店のあり方を考える その一
2019-01-27
皆さま新年明けましておめでとうございます。
 
今年もよろしくお願いいたします。
 
しばらくお休みしていたブログを再開させていただこうと思います。
 
 
 
さて、テーマは「工務店のあり方を考える」ですが、 そもそも弊社の業態を世間の皆様はどう受け止めていただいているのでしょうか?
 
商号は「材木店」、頭に「Green House」なんてついている。
建築士がいて、大工さんがいて、住宅に携わる仕事をしているみたいだけど、
いつからどんな仕事をしてきたのか?
 
今となっては解りにくいですよね。
 
ですから ここで少し弊社の歴史についてお話させていただければと思います。
 
 
 
弊社は、昭和30年に私の祖父 品吉と父であり現会長の耕一が材木店として創業した会社です。
 
祖父は、30歳で徴兵され病気で戦地から送還されて、しばらく療養してから終戦を迎えました。
戦前に県職員として林務課で働いていた関係で 進駐軍の労務管理事務所で昭和24年頃まで働いていたそうです。
その後人員の整理の際に退職して製材業の見習いをしながら木材業を志したと聞いています。
 
 
昭和26年頃には、個人で木材の取引を始めて、現会長の耕一が高校に入学する頃に「内田材木店」の商号で木材業を始め、昭和32年には「有限会社内田材木店」となって法人化しました。
 
祖父品吉は、戦争の後遺症で目が悪く車の免許が取得できなかったので、会長がオートバイの免許が取得できるようになればすぐに配達の要員として手伝いをしなければ商売が成り立たず、 父は地元では有名な進学校に通っていましたが、大学に進学することはできなかったそうです。
 
 
耕一は、高校卒業から3年ほど(昭和31年から33年頃)経った頃に、建築の専門教育の必要性を感じて夜学(工学院大学)に通い始めます。
 
当時は、夜間の大学教育を受ける前に二年間の専修科があったようで、昭和34年から40年まで夜学に通ったそうです。
大学に通い始めた昭和36年には、二級建築士の試験を受け合格して、
在学中には初めて建築請負をさせていただき、これが今の「株式会社内田材木店」として家を設計・施工させていただいた初めての仕事になります。
 
 
そして、昭和40年に結婚してから大学を卒業して、昭和41年に私が生まれ、昭和43年に弟の昌治(現専務)が生まれた年に一級建築士に合格しています。
 
 
 
材木店として創業して8年ほどで建築請負業をはじめて、
それからは商圏の工務店さんとのお付き合いはなく(商圏の大工さんからは材木を買っていただけなくなるのは当然の成り行きでした) 、木材の販売はおもに地元の土木業者と商圏外の工務店さんが数社となって、
 
ここから当社は、本格的に建設業を生業としていきます。
 
次回につづく…
<<株式会社内田材木店>> 〒252-0335 神奈川県相模原市南区下溝1361 TEL:042-778-1024 FAX:042-778-3054